死なれては困る   2014/01/11


 俺は殺し屋。と言っても、世間一般で言うところの、自分の私利私欲のためだけに命を奪う職業殺人鬼と一緒にされるのは心外だ。俺がターゲットにするのは、社会に害悪を撒き散らしながら、法が捌くことのできない極悪人や、生き続ければ多大な犠牲者を生み続ける独裁者たちだ。先日も、人命より自社の利益を優先して多数の大勢の死者をだしたブラック企業の幹部たちを一掃してきた。マスコミからは冷酷な殺人犯と呼ばれているが、ネットでは神と崇められてさえいる。どちらが正しいかはどうでもいいが、俺は俺の中の信念に従うのみだ。これについては揺らぐことはなく、今後もこの仕事をやめるつもりはない。まあ、この国の法では俺も犯罪者だから、捕まったら続けようもないし、命を落とせばそれまでだ。もっとも、そんな失敗をしないからこそ、神と称えられるのだが。

 そんな俺が、ある日ありえないミスを犯してしまった。ターゲットを始末すること自体は成功したものの、現場から立ち去る際に足を滑らせてしまったのだ。運の悪いことに、そこは十階建てのビルの屋上の、転落防止柵の外側の極めて細い足場の上。咄嗟に身を翻したが、手は建物の縁ではなく、虚空をつかむだけだった。ここから落下してただで済むはずがない。

 さすがの俺も死を覚悟した。しかし、そのとき不思議なことが起こった。この世のものとは思えない重厚で厳かな声が耳元ではっきりとこう言ったのだ。

「死なれては困る」

 そのまま世界は暗闇に包まれ、次に目を開いたとき、俺はビルの谷間のうずたかく積まれたゴミの上にいた。そのゴミは全て梱包に使われる緩衝材で、地面への激突を免れたばかりか傷一つなかった。こんなところに産業廃棄物を捨てるのは許せないが、今日だけは見逃してやろうと思った。

 それからも何度かこういうことがあった。たとえば大河で溺れたり、ガラスに頭から突っ込んだり。そのたびに「死なれては困る」と声をかけられ、奇跡の生還となるのだ。これはもう本当に、神として世を正すべし、との天啓に違いないと思わざるをえないだろう。俺はますますこの仕事に情熱を傾けようと誓った。

 しかし、今回はちょっと違った。何をどうやっても助かることに慣れてしまった俺は、またしても大きなミスを犯した。ターゲットの仲間からの思わぬ反撃で、銃弾を何発も浴びせられたのだ。避けることは不可能に思われる弾丸の雨の中、俺は平然といつもの声を待った。ところが、聞こえてきたのは予想に反するせりふだった。

「いい加減にしてください!」

 その瞬間、目の前の銃弾や敵、空気の流れ、自らの心臓の鼓動、ありとあらゆるものの動きが全てピタリと止まった。先の声以外、全ての音も聞こえなくなり、痛いほどの静寂が訪れた。とりあえず助かっている状況ではあるようだが、いつものように危険が去った上で意識が戻っているわけではないので、気が気でない。鼓動さえ感じられるなら、早鐘を打つかのごとくであろう。夢でも見ているのか、それとも今までの全てが夢だったのか。時間の流れが感じられない中、たっぷりとした間を空けた後、ふいに目の前にこの世のものとは思えない雰囲気を持った不思議な人物が現れた。見た目だけでは男女もわからないその人物は、表情をまったく変えず、口だけを動かして言った。

「私は死神です」

 そうか、ついにお迎えが来たのか。俺はやや残念ながらも天命を全うした安らかな気持ちになってきた。ところが、そんな思いを読み取ったそいつは、それを即座にばっさりと否定して言う。

「まだ死なれては困るんですけどね、もう限界なんですよ。あなたがあまりにも間が抜けすぎて、用意していたストックが切れてしまったのです」

 言っている意味がさっぱりわからない。ストック?限界?何の話だろう。

「詳しく教える必要も義理もないのですが、それではかわいそうなので一応簡単に説明するとですね」と前置きして、死神とやらは長々と語りだした。

 要約するとこうなる。なんでも、俺は死の国の入国に関して何らかの問題があり、一時的に死亡は死神の責任で『預かり』処分になっていたそうだ。で、死神が自分のところに魂を置いておくのは手続きが面倒なため、瀕死だけどまだ死ぬはずじゃない人命(将来担当になることが決まっているらしい)を早々とあちら側へ送る代わりに、俺の死を帳消しにするという裏技を使っていたが、手持ちの瀕死者がいなくなってしまった、と言う話だ。

 そんなの不正じゃないか、しかもそのために罪もない命を犠牲にするとは、許されざる大罪だと思ったとたん、死神の奴がキレだした。

「そもそもね、あなたが正義の人殺しなんてするからややこしくなったんですよ!天国は人殺しなんて絶対受け入れられないって言うし、地獄は地獄で全く私欲や悪意がない上に札付きの罪人を送り込んだことが評価されて、扱いに困るときた。なんとかしろって上からくどくどと言われるこっちの身にも」

 言い終わらないうちに死神の声が途絶えた。そして世界が暗闇に包まれた。何事かと思っていると、別の厳かな声が聞こえてきた。

「お前の担当の死神は過労で倒れました。こうなった一因はお前にあることですので、復帰するまでの代役はお前に勤めてもらうことにしました。異論は認めません、どの道あなたには行き場はないのですから」

 その声は有無を言わさぬ口調でまくし立てた。言葉が途切れてしばらくすると、周囲がぱっと明るくなり、俺は見たこともない部屋に立っていた。八帖ほどの正方形の部屋で、一面には扉、三面には天辺が見えないほどの高さの本棚が据えられ、ぎっしりと何らかの書物が収納されている。部屋の真ん中にはぽつんと机が一つ。その上には一冊の冊子が置かれている。手にとって見ると、どうやら死神のマニュアル兼引継ぎ資料らしい。不思議なことに、手に取るだけで内容が頭に入り込んできた。

それから俺は、例の死神の代わりを務めるために休む暇もなく飛び回った。目が回るほどの忙しさで、人間として生きているよりもはるかに辛い生だ。

 挫けそうになったとき、例の厳かな声が聞こえてきた。

「かの死神が現場に復帰するまで代役を全うできたら、あなたには然るべき死後を迎えさせてやりましょう。但し、彼が亡くなったらあなたは正式な後任として死神になってもらいます、せいぜい頑張ってください」

 またしても有無を言わさず、と言った感じだった。とにもかくにも、死神には早く回復して復帰してもらわねば。そして何より思った。「死なれては困る」と。