新潟県中越地震

2004年10月23日17時50分過ぎ、新潟県中越地方を中心に深度の浅い大規模な地震が発生しました。
マグニチュード6.8、最大震度6強(観測当時)という強い揺れが続けざまに数回起こり、国道17号は川口町を中心に寸断、和南津トンネル崩落、在来線・新幹線完全運行不能と、関東方面への直接の連絡手段が一切絶たれました。
当然建物の倒壊も少なくはなく、多くの住民が寒空に放り出され、避難所やテント、自家用車内で寝泊りをするうちに心身をすり減らし、結果として50人超の方が亡くなるという惨事に発展しました。
震源地は小千谷市・川口町の辺りで、川口町の地震測定装置からのデータ送信経路が通信不能となっていたため、改めて回収されたデータは震度7超という県内では最大規模の地震であったことが、後日改めてわかるという結果でした。
私の婿入り先が現魚沼市・旧北魚沼郡広神村で、地震発生当初からおよそ一週間、義父との連絡が電話・交通ともに不能で、夫婦で弥彦村の私の実家に避難していたのですが、妻が常に不安な心持でいたことを今も覚えています。
幸い、義父も同居している義伯母も特に被害を被ることなく無事でしたが、電気が復旧するまでにかなりの日時を要したとのことで、真っ暗な家の中でいつ襲ってくるかわからない地震に怯えながら寝るのが不安だったそうで、多くの被災者同様に家の外の車の中で夜を明かす日が続いたそうです。
多くの方が同様の過ごし方でエコノミークラス症候群で亡くなっていたので、それだけはちょっと心配でしたが、1年以上経った今も元気なので一安心です。
国道17号線が仮補修された数日後の休日、長時間掛けて魚沼の家へ向かう沿道で倒壊寸前の家々、赤紙(危険度A)を貼られた建物を多く見、また今までまっすぐ通っていた国道が崩落して豪快に迂回している道路を通るにつれ、いかに震源地が悲惨だったかを痛感したものです。
今、多くの道路は復旧工事をある程度終え、もう殆ど車で行けない土地はなくなってきました。でもまだまだ仮設住宅から出ることのできない人々、仮舗装の道路などが多々存在する中で、間もなく震災から二度目の冬を迎えます。
かの阪神淡路大震災では、都市機能の完全復旧におよそ十年の歳月を要し、人の心のケアはまだまだ完全に至っていないと言います。
いずれも、早期の復旧を心から祈っております。